なぜ、成功した起業家は残酷か?   April 2008
私が会社を売却しようと決意したのは、あることに気づいたからだった。
それは、このことだ。

経営者になるには資格がいる

比較的小さな会社の場合は別だが、事業規模を拡大していこうと思っている、 拡大志向の会社を経営するには、資格がいるということだ。 資格というと、弁護士の資格や会計士の資格といった国家資格が思い浮かぶが、そういうものじゃなく、目に見えない、見える人にしか見えない資格のことだ。

この資格について話す前に、話しておかなければならないことをお話しよう。

遠い遠い昔、人類は木の実を採り、動物を狩り、生活していた。
いわゆる狩猟採集というやつだ。

それから少し経って、人々は農耕を始めた。
この生活形態の変化は、ある変化を同時にもたらした。

それは、集団の規模だ。

狩猟採集生活では、食料をまかなうことができる人数は非常に少ない。
想像してみてほしい。

テレビで見るようなアフリカのサバンナで、ちらほら見かける木の実を採りつつ、 狩れるかどうかも不確かな動物を当てにして生活する。さらに、食料を求めて、さまよい移動する毎日。大変な生活だ。そのため、その生活様式から支持できる集団の規模は必然的に小さなものとなる。

次に、農耕生活に移行する。
すると、その地域から収穫される作物の規模によって、維持できる集団の規模は格段に高まることになった。
つまり、人口が増えたというわけだ。

すると必然的に、人類は階層をつくり始めることになる。なぜなら、集団をまとめる必要があるからだ。

たとえば、学校の部活などでは、部長、副部長、部員という階層がある。 これは、部という集団をまとめる必要から自然発生したシステムなのだ。

もし、部長・副部長がいなければ、30人の部員全員がそれぞれやりたいことをやって、 統率がとれず、にっちもさっちもいかない状況になるだろう(とはいえ、実際にそのような事態になれば、 リーダーシップを取る人間が登場して、その人がリーダーとなるのだが。というわけで、自然発生的システムが組み込まれているというわけだ)。

人類は、このように階層をつくることで、集団を組織化していった。
ある人は、集団を率い、ある人は、集団の食料生産を担う、ある人は、集団内のいざこざを処理し、 ある人は、外敵に対する責務を担った。なぜ、このような組織化というプロセスを経るのだろうか? それは、それが、集団を維持するためのシステムだからだ。集団の構成人数が増えれば、増えるほど、その複雑性は高まる。

たとえば、あなたが友人に電話で連絡するとする。とても単純だ。 すぐに達成できる。しかし、もし、あなたが友人5人に連絡し、その合意内容を再度5人に連絡するとなったら、どうだろうか? かなり大変な作業だろう。合意を取り付けるだけで、何度も連絡が必要となる。 さらに、もし、あなたが友人50人に連絡し、それぞれの意見を一覧できるようにした上で、合意を取り付け、 再度連絡しなければならないとすれば、どうだろうか?ハードだ。おそらく一週間以上はかかりそうだ(連絡がなかなかつかない人間もなかにはいるし)。

このような複雑性の高さに対応するために、集団は組織化するのだ。
組織化することで、複雑性による負荷があるとしても、集団の秩序立った活動が可能になる。 要するに、集団が大きくなれば、組織化をして、秩序立ったシステムを組み込まなければ、維持できないということなのだ。 (官公庁は、官僚主義だと批判されるが、逆に言えば、批判されるほど、官僚主義的でなければ、組織として不適正なかたちであるともいえるのだ。)

ここまで、人類の歴史変遷について、つまらない話をしてきた。
でも、なぜ、私はこんなつまらない話をしたんだろうか?(ウケが悪いってわかってるはずなのに)

それは、この人類がたどった過程が、起業家のたどる道程と同じだからだ。

起業家が会社を設立すると、たいていの場合、存続が危ぶまれる。 つまり、倒産しやすいのだ。少数ではあるが、そのような危機にさらされずにすむ会社もあるが、 たいていは大変な生活をすごすことになる(ビル・ゲイツでさえ、取引先の倒産で体験している)。

しかし、それを乗り越えて、収穫できる利益が増えるようになると、それと並行して集団の規模が大きくなる(農耕生活が始まったように)。

そこで、集団の階層化が起きる。

企業の場合は、社長がそもそもいるわけなので、当然の流れではあるが、問題は、「いつまでフラットでいられるか?」なのだ。 いくら優秀な起業家といえど、人は人だ。目の行き届く範囲や人数も限られてくる。 一人や二人だと、何をしているのか、すべて把握できても、 100人となれば、自分一人ですべてを把握することはできないだろう(やることは、それだけじゃないのだから)。

つまり、それは組織階層が多層化することを意味している。短く言うと、管理者が出てくるのだ。

そうしていくことで、起業家が始めた会社は、どんどん組織化され、集団全体にかかってくる複雑性の負荷に耐えようと組織化のプロセスを進ませていくことになる。

このプロセスの進展がどのようになっているかは、ベンチャー企業と大企業を比較してみると、すぐにわかる。

ベンチャー企業は、カオス(混沌)だ。
基本的に、社長が一番で、あとはフラット(平坦)だ。

一方、大企業は、きちんとした階層と組織がある。
主任、係長、課長、部長、専務、常務、専務、副社長、社長。 部署も、きちんと分かれており、予算配分も、きちんと系統だってなされている。

ようやく、ここでメインテーマについての答えをお話することができる。
メインテーマは、「なぜ、成功した起業家は残酷か?」ということだ。

短く言えば、「自分の嫌いなモノを他人に押し付けることができるから」だ。
ここまで、起業家がたどる道程について理解してきた、あなたならば、わかるだろう。

そもそも、起業家は、組織にいることができなくて、会社を起こしたはずだ。
もし、組織が本当に好きだったら、ずっとそこにいて、起業しようなんて考えはしない。 つまり、起業家は、組織が元々嫌いなんだ。組織の一部でいるなんて嫌だから、自分の好きなようにやれる会社を立ち上げたんだ。

けれど、自分の会社の規模が大きくなるにつれて、組織化せざるを得なくなるときがくる。
それは、自分が嫌いだったモノを自分の会社にいる人間に、押しつけなければならなくなるときだ。

自分が嫌いなことを、他人には押し付ける

たしかに、押しつけられた側から見れば、別に嫌いでもなければ、 苦でもないのかもしれない(なぜなら、これまで、学校や社会でそうなるように教育されてきたからね)。

けれど、起業家はそうじゃない。

起業家は気付いている。

自分の嫌いなモノを他人に押し付けているってことを。

気付いていて、やらなければならない。
だから、成功した起業家は残酷で、「経営者になるには資格がいる」のは、こういうことを平然とできなければならないからだ。

自分の嫌いなピーマンを、友達に「食え」って押しつける。
たしかに、友達はピーマンが好きなのかもしれないけど、自分じゃ食えないようなモノを人に押し付ける行為は、心理的に負担になってしまう。

このようなプレッシャーにさいなまれた経営者が採りうる選択肢は、主に4つある。

1. そのまま進む(慣れる・そもそも大丈夫)
最初の選択肢は、そのことに慣れるか、そもそも初めから大丈夫だという選択肢だ。 たいていの経営者は、経営していく上で、色々な経験をすることで、このようなことに慣れていくものだ。 そもそも大丈夫といった人も多い。 「別に自分はピーマンが嫌いだけど、彼らは嫌いじゃないって言っているんだから、別にいいでしょ。」といった反応が典型的だ。

2. 誰かにさせる
次は、自分以外の人にさせるという選択肢だ。
これは、シリコンバレーのベンチャー企業によくみられる。 たとえば、グーグルは、創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、経営者から退き、エリック・シュミットという専門経営者に経営を任せた。

3. 売却する
この選択肢は、2の「誰かにさせる」という選択肢に近い。 「誰かにさせる」は、社内でのことに対して、この「売却する」という選択肢は、社外に求めている点が違う。 これもまた、シリコンバレーのベンチャー企業で、よくみられることだ。前述のグーグルやマイクロソフトも、このような企業を多数買収してきている。

4. 規模を抑える
最後の選択肢は、事業規模を抑えるという選択肢だ。 この選択肢は、拡大志向でなくなるという点で、組織化のプロセスを途中でとめてしまうことを意味している。 上場や世界規模での展開はできないまでも、好きなことを好きなようにできる自由は手に入る(つまり、ライフスタイル・ビジネスというわけだ)。

もし、あなたが起業家なのであれば、自分がどの選択肢を採るのか(採っているのか)ということを考えてみても、いいかもしれない。
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